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2007年2月

2007年2月 1日 (木)

マット・フランコの魅力 パート4

バッターは、いつでも軸がぶれないのがいいらしい。

マット・フランコ,その人は、いつも同じスイングを心がける。Blog_055

夫は、カメラを構え感動の一瞬を狙う。

そう、彼のスイングはいつも同じ。

ホームランも、そしてキャッチャーゴロも。

(もれなく三振も)

 

2005年9月19日。その日は、プレーオフに向け、とても大切な時期だった。

相手はホークス、負けられない!

0対5から8対5と大逆転!

そして、サブロー選手が1塁から2塁、西岡選手が3塁からホームへの

  『ダブルスチール』

      9対5の勝利

いよいよヒーローインタビュー。

観客席からは、「今日は誰かな?」「悩むな~」。

誰だ誰だ、ヤンヤヤンヤと、うれしい会話が・・・。

ついに出てきた!

今日のヒーロー

   マット・フランコ選手~」

 

 「えっ?マティなんかした??」との声が・・・。

彼は、5打数4安打だったのだ。Blog_129

(確かに、あまり記憶に残ってはいなかったが)

うれしそうに出てきたときの、あの笑顔をみると、次もお立ち台にと思ってしまう。

その2日後、【M0対1H】でランナー一人。

彼がバッターボックスに向かう。

そして、あのぶれないスイングで“2ラン”

 

この時点で

『今日もお立ち台はもらった~』

のはずだった・・・が、彼のHRをきっかけに、打線大爆発!

堀選手満塁HRに、今江選手4打数3安打。

今日のヒーローは今江選手になった。

でも、この日私にとってのヒーローは

      “マット・フランコ”だった。

 

彼は、案外バントも上手。

不調で、打率が1割台になりそうになった時、セフティーバントを成功させた。Blog_095

次の今江が打った時、

『気分は西岡!』のままの彼は、

   3塁まで“激走”

 

   ここまで私を魅了した彼。

    彼の魅力、いまだわからず。Blog_107

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2007年2月 2日 (金)

徳不孤(とくこならず) ベニー・アグバヤニ

今日のブログは、妻が2004年に感動のあまり書き留めたものである。

めずらしくまともな文章だったので、今回は夫の私が載せてみた。Blog_059

 

論語に「徳は、孤ならず」、徳のある人は孤独にはならないという意味の言葉がある。

 2004年のシーズンはじめ、マリーンズに入団したばかりのベニー選手にサインをいただき、握手を求めると、すこし驚き気味の後、すかさず手袋をはずしこちらが恐縮するくらい丁寧に握手をしてくれた。

 序盤、成績はおもわしくなかったが、体型からは想像できないくらい、速い足を持ち、守備も良い。なにより、ひとつひとつのプレーを大切にしている。

 暑い夏がおとずれる頃は、ハワイアンの彼はチームにとって大きな軸になっていた。

誰も打てなくても、彼だけは打った。

足を生かした内野安打から、打った瞬間わかる特大ホームランまで・・・。

  

その年の西武戦。相手ピッチャーは松坂。

92アウトまで、手も足も出ず、三振の山。

敵ながら怒りを越し、感動さえ感じていた。

そして最後の打席、その日怪我でベンチだったベニーが代打で出てきた。

バットには当てたが、強い内野ゴロで終わった。

いつもの彼なららくらく内野安打だったことは、1塁内野席で見ている客たちは知っていた。

彼は、打った瞬間いつものように、あきらめず必死に走った。歩くことさえままならない足を引きずりながら・・・。

そして、客たちは叫んだ。

  「ベニー、もう走るな。

        わかっているから!」と。

目頭を熱くさせた瞬間であった。

この日を境に、彼は本当のマリンのリーダーになったことは言うまでもない。

 

         この年の彼の記録は、

     打率315、35ホーマー、100打点。Blog_117

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2007年2月 3日 (土)

ベニーの三盗の意味

Blog_135 この時期になると、今年のチームリーダーは生え抜きがいいだの、  なんだの言い始める。

千葉ロッテマリーンズのリーダーは誰だろう?

2006年5月9日、甲子園での阪神戦。

私はパソコンの前で、夕食の準備と平行して、試合の速報をチェックしていた。

1回裏「ベニー、塀内と交錯しながらもスライディングキャッチ!」

そこまではよかったが、それに続くコメント

「しかし、このプレーで膝を痛めたベニーが動けず・・・」

「・・・ベニーそのままタンカで運ばれ・・・」

ベニーの怪我はちょっと深刻らしかった。

その上、相手はちょっぴり弱気な塀内選手だし・・・。

 

それから、12日後の21日中日戦。

ランナーは2塁ベニー、バッターサブロー選手。

塀内選手との交錯した際の、ベニーの膝の傷口には、 まだ糸がついたまま。

   なんと“ベニーが三盗”

キャッキャ、キャッキャ喜んでる私に、夫が一言、

「塀ちゃんのために走ったんだよ。

  あれがベニーのやさしさだね、きっと。」Blog_137

2004年の西武戦を思い出した。

ベニーが、まともに歩くことさえできない足を引きずり、ファーストへ向かった時の事を。

あの日を境に、チームが変わった気がした。

子供が親に褒めてほしくて側に行くように、ナインは活躍するたびに、まずはベニーの側に行くようになっていた。

正直、怪我が悪化したら、今年で終わりになるかもしれない。

無理に走らなくてもかまわないのだ。それこそ、糸が取れるまで、   試合に出なくても、誰も文句は言わない。

  なのに、走った!

チームリーダーとは、きっとベニーのような選手を言うのであろう。

    やさしくて、そして強くて・・・Blog_131

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2007年2月 4日 (日)

ベニーからの贈り物

2006年9月24日千葉ロッテマリーンズ最終戦、そして諸積選手の引退試合でもあった。Marines_06_09_24_015

(諸積選手現役最後の打席、みごとなヒット)

相手は、プレーオフ1位通過のために死に物狂いでくるであろう日本ハム。

4対4の同点で迎えた7回裏、無死1,2塁、マリン自慢の3割バッター福浦選手。

(福浦だからバントはない、とりあえずランナー進めて、その後、私だったら・・・)

と考えていると、なんとベンチは福浦選手にバントをさせた。

   おーい、バントかよ~!! 

びっくりしたのもつかの間、里崎選手を露骨に敬遠。

バッターベニー。この瞬間、私の脳裏にあの西武戦がよみがえってきた。

2005年4月6日インボイスドーム。

ベニーの前の打者を露骨に敬遠。

正直、この時西武ベンチが、ベニーをなめているのが、ファンにも伝わってきた。

くやしくて、くやしくて、涙が出てきた。

しかし、ベニーはもっと悔しかっただろう。

ベニーはその悔しさを吹き飛ばしてくれた。

   『グランドスラム』で。

おまけに、次の8日の日ハム戦でもまたまた見せて、

いや、“魅せてくれた”Blog_060

    2試合連続グランドスラム!

さすが西武。その後、ベニーの前の打者を敬遠する際は、“きわどいとこを突いたけど四球になっちゃった”って感じで敬遠するようになった。

里崎選手敬遠で、わたしはベニーが必ず打つと確信。

そしてライナーでレフトスタンドへ放り込んだ。

  『ベニーのグランドスラ~ム!』Marines_06_09_24_022

Marines_06_09_24_026  諸積の引退試合に、とても大きな華をそえた。

 この日、ベニーのお友達のお誕生日でもあった。

  こんな素敵な誕生日プレゼントって、いいな~

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2007年2月 5日 (月)

福浦和也の『走攻守』

小坂選手がいなくなって、守備好きの楽しみが減ったと思ったが、そうでもなかった。

乱れた送球が増えたおかげで、柔軟な体でなんなく捕ってしまう福浦選手がひきたつ。

内野陣のプレーを見ると、「福浦さんは全部捕ってくれる」と、信じきってがむしゃらに送球してくる。そして、必ず“捕ってくれる”のだ。

この頼もしさが、若手をのびのび育てるのだろう。

打撃は、こんな私が語ってはいけない。

おこがましくて・・・でもひとこと、

『今年は首位打者!』Marines_06_09_20_23_045_1

2004年開幕当初、まだ山本監督時代のノリで、まったり観戦していた時のこと。

バッターは、千葉ロッテマリーンズご自慢の、

   生え抜き『福浦和也選手』

    “打った~!しかし内野ゴロ”

その時、福浦選手はバットを持ったまま、一塁ベース途中までユルユル行き、ベースを踏むこともなくタラタラベンチに戻った。

打った瞬間、すぐあきらめるのは、福浦選手に限ったことではない。

しかし、バット片手に走る姿は大嫌いだった!!

次の回、福浦選手は交代。怪我なのか、それともそのプレーが、ボビーを怒らせたのか。

福浦選手はお世辞にも、足が速いとは言い難い。

あれで、腰痛もなく俊足なら、楽に4割行くと言っても、過言ではないと思っている。

 

2005年10月17日。

ファンひとりひとりが、いろんな思いを胸いっぱいに抱え、深く、そして熱く感動させられた日。

そう、パリーグ優勝の日!

私は、ひたすら部屋の小さな画面に向かって、福岡ドームに念力を送っていた。

1対2で迎えた8回表、ランナー二塁初芝選手、一塁福浦選手。

バッターの里崎選手が、

   “逆転タイムリー二塁打~”

この時の福浦選手は、一塁からホームまで走ったのだ。

福浦選手は、大塚選手でも西岡選手でも、

まして代田選手でもない。

“足の遅い福浦選手なのだ ”

     (ごめんちゃい・・・)

ビジターだと、練習を見ることができるのだが、2005年、高橋コーチが一軍コーチになってから、福浦選手は高橋コーチに、いつも積極的に走塁の指導を受けていた。

その成果は着実に、そして確実にあらわれてきた。一塁なら三塁に、二塁ならホームにほとんどシングルヒットで帰ってきた。Blog_140_1

 (5月13日カープ戦 さよならヒット)

 2006年は、ヒットでも、ホームランでもなく

  福浦選手の内野安打で、

  私はおもいっきり、こぶしを握り締め、

         『ガッツポーズ!』

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2007年2月 6日 (火)

成瀬善久の太ももデビュー

Blog_145  ウォーキングから戻ってきた夫が、

「なんか、内転筋が張ったみたい。でも、そこを意識して歩くと、これからもっと上手に歩けるかも。」と、全く意味不明の事をいう。

(内転筋?いつから筋肉に興味を持ち出したんだ、この人は?マッチョになる気なのだろうか?)と、黙って不安げに“じーっと”夫を見つめると、

「まだ、マリーンズTV見てないんだ」と。

急いで、パソコンを開くと、成瀬投手のインタビューが・・・。

その内容には、内転筋とやらが張って、その張りを意識して・・・どうのこうの。

(パクリかよ~、ってか、

  あんたはピッチャーか?!)

夫の背中に向かって、心の中で叫んでやった。

 

2006年5月17日。横浜での試合。

成瀬投手の初先発なのに、この日は雨だった。

しかし、5回まで強い雨の中、成瀬投手は淡々と投げ、勝利をものにした。

私一人での観戦。成瀬投手の初マウンドだからと、夫にカメラを託されたが、ほとんど触ったことがない私は、説明書片手にホッシーナで練習したが、トラブルだらけ・・・。Blog_143

Blog_141 いざ試合が始まると、雨がひどいが、合羽姿で、荷物はゴミ袋に入れ、カメラ抱きしめとりあえずがんばった私。

成瀬投手にカメラを向け、ひたすらシャッターを押した私に悲劇が襲い掛かる。

 “ドスッ!”と・・・

右わき腹に衝撃が走り、一瞬息ができなかった。

わき腹が、痛いと言うより、衝撃のあまり熱かった。

ファールボールがあたったのだ。

しかーし、私は次のモーションを逃がすまいと構え続けた。

お陰で、下手な写真ではあったが、成瀬投手の“盛り上がる太もも”を撮ることができた。

怪我で二軍戦も出られなく、ただただ不安をかき消すために、走りこんだという成瀬投手。Blog_148

その走り込みが、

 黄金の太ももをつくり上げたのだ。 

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2007年2月 7日 (水)

成瀬対松中

チームによっては、キャンプで高卒ルーキーを、1軍からスタートさせているところもある。

しかし、高卒の選手は「焦らず、じっくり」で、まずは怪我をしない体力づくりからはじめてほしい。実力があっても、若くして怪我でプロを去る選手も多い。

 ドラフト6位で入団した成瀬投手は、入団前から故障持ち。

2004年は、故障のため、試合は後半にやっと二軍マウンドに立てた状態。みんな、夢いっぱいとちょっぴりの不安で入団してくるなか、成瀬投手は最初から“故障”を抱えたままでの入団。どんなに不安だったことか・・・まだ20歳になっていない子が。

成瀬選手は、その不安をかき消すために、ただただ走りこんだという。

2006年5月17日の初勝利の日から、できる限り成瀬投手の登板予定日には足を運んだ。Blog_153

8月6日のホークス戦。杉内投手との投げ合い。

けが人続出で、この日の守りはなんとかなりそうなメンバーだったが、大量点は明らかにのぞめず、成瀬投手しだいだった。

この日の投球は、今までになく従来のコントロールのよさに加え、繊細かつ、大胆さを感じた。

6回表、バッターは松中選手。ちょうど疲れが出てくる回。

(この回を乗り切ればなんとかなる。がんばれ~)そんな気持ちで応援。

松中選手、決め球をしっかりカットしてくる。さすがである。

あまりのしぶとさに

(もう、フォアボールでもいいよ、松中だし~)

と、客である私が根負けしていた。

しかし、コントロールのいい成瀬は、きっちりストライクゾーンをついてるようだ。そして、松中選手も負けじとカットしていく。

13球目、松中選手が打った!ボールは、ライトフライ。

  成瀬投手が、松中選手に

       投げ勝ったのである。

この年の成瀬投手の登板した試合は、中身のある素晴らしい試合ばかりだった。Marines_06_09_1518_069

(9月18日初完封)

Marines_06_09_1518_090

その中で、私にとっては8月6日、勝利投手にはなれなかったけれど、この試合の松中選手との対決が、1番の思い出となっている。

 不安を抱えながらの走り込みが、

 2006年の頼もしい太ももと、

強い精神力をつくり上げたのだろう。

成瀬投手は、栃木県出身。

もしかして、栃木の武士で、弓矢のコントロール抜群の『那須与一』は先祖かな?

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2007年2月 8日 (木)

ホリスタ

野球のない時期は、選手のブログが待ち遠しい心を和ませてくれる。

千葉ロッテマリーンズの選手ブログでは、大塚選手が人気らしい。先日、大塚選手のブログの中に、堀選手の事を「ホリスタ」と書いていた。

記憶力の悪い私の脳が、めずらしく“ピピッ~!”ときた。

確か、2005年のインボイスドームでの試合前のことである。Blog_161

ランペンコーチが外野ノックをしたのだが、なかなかうまくいかず、かわりに里崎選手と堀選手がノックを手伝っていた。何気なく、堀選手が素振りをした。すると、そばにいた選手たちが、ものすごーく笑って「もう一回やって」と頼んでいる。堀選手は、ちょっと恥ずかしそうにしながらも、また素振りをやってみせた。

そして、そのスタイルで打ってみせた・・・と、なんとホームラン!もう1度打つ、またもホームラン。

そのスタイルとは、2005年までホークスに在籍していた「バティスタ選手」のあのオープンスタンスの独特のフォームだったのである。

とてもよく似ていたが、それで打てちゃうとは・・・堀幸一恐るべし!

あまり、試合中闘志をむき出しにしない堀選手。小坂選手や、西岡選手と組むといつも上手に引き立て役にまわる。

そんな堀選手が、2005年8月28日だけは、ちょっと違った。先発は黒木選手。スタンドは満員で、試合前から異様なムードに包まれていた。Blog_166

いつも、控えめな堀選手が、10歳若返ったような超積極的プレーの連続で、黒木投手を助けた。

つい(ど、ど、どうしたんだホリ~、でもいいぞホリ~)と、うれしいながらも動揺してしまった私。

おちゃめだけど、いざとなったら頼れるのが、

    『ホ・リ・ス・タ』Blog_173

Blog_167

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2007年2月 9日 (金)

へーちゃん、がんばれ~『塀内久雄』

キャンプでは、1,2軍の狭間にいる選手は、常に息が抜けない。

その狭間で、控えめにしかし必死でがんばっている選手がいる。

「へーちゃん」こと、塀内久雄選手。Blog_176

最初のライバルが、“小坂誠”とは不運である。

その後、小坂選手がトレード、やっと活躍の場が・・・と思ったら、走攻守そろった“西岡剛”がショートにまわって、すでにスタメン。サードには、多少の怪我にはびくともしない“今江敏晃”。セカンドの、“堀幸一”を狙うしかないが、まだ抜くことは無理。その上、守備に関しては完璧1軍の“渡辺正人”がいる。

以前、セカンドに付いた時、ゲッツーコースの球をなぜかファーストに送球。福浦選手、驚きながらも、落ち着いてセカンドに送球、ゲッツーとなった。

塀内選手のところへ、ボテボテのゴロが飛ぶと、必ずヒット。そのたび、

『ゴロは前進!下がって捕るな~』

と、つい叫びたくなったりして・・・。

でも、いつも本人は必死である。

       だから、余計に痛々しい。Blog_187

2006年になると、塀内選手にも徐々にチャンスがまわってきた。

4月8日、9回裏3対4、2アウトランナー3塁。9回表から守備に入った塀内選手の初打席。

(今日最初の打席が、最後のバッターになるとは、へーちゃんらしいな)と失礼なことを思っていた私。すると、塀内選手

『打ったー!』同点タイムリー!!

ビジョンに映し出された、ファーストベース上の塀内選手、うるうるなみだ目だった。

2006年9月26日。

マリンでの最終戦も終わり、テンションがちょっと下降気味の1軍メンバー。しかし、1軍と2軍の狭間にいる塀内選手にとっては、来年のためのアピールタイム。そんな中、塀内選手はセカンドを守った。

“塀内選手、ゲッツーの嵐!”それも守備で・・・。

(本当、成長したな~。ゴロも少しだけ、前進して捕るようになったし)、つい、母親気分になってしまった。

まずは、「人が多いと緊張する」らしいので、そこから克服し、持ち前のパワースイングを期待してるね、へーちゃん!Blog_192

Marines_06_09_30_10_01_015 (山形、ファーム選手権にて)

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2007年2月10日 (土)

泣かせる男、薮田安彦 前半

Blog_225 Blog_226 今年は、交流戦が減ることになり、交流戦で貯金を増やす千葉ロッテマリーンズにとっては、少し残念かもしれない。Blog_223

 

2005年5月11日、千葉マリンスタジアムでの阪神戦。

さすが阪神ファン、ファン人口が多いためか、平日にも関わらず、平日はなかなか埋まらない内野3塁側も人の入りがいい。

中には、あえてビジター側ではなく、マリーンズ側の席をとるファンもいると聞いていた。

やっぱりいた・・・マリーンズ側に座り、試合前から周りを大きな話声と野次で威嚇するファンが。

そして、その阪神ファンはガンガン野次を飛ばすのだが、まるで野球とは関係ない野次ばかり・・・。(どうも、阪神ファンもどきのようなのだ)

エセ阪神ファンの後ろの座席の女の子は、おびえながらも応援したいことをお父さんに訴えかける。その子のお父さんは「ごめんね、今日だけは我慢しようね・・・。」と納得できない悲しい説明。

そんな中、私の横に大人のカップル。女性のほうは、初めて球場に来たようで、「野球場って、広くてきれいなんだね~来てよかった」と言いながら席に着いた。

しかし、そんな穏やかな気分は、すぐにエセT客に壊された。

エセT客「こんな球場、どこがええねん。天下の阪神に勝てるとおもーてんのか?」となんちゃって関西弁で言った。そして試合が始まると、

エセT客「高橋~誰だお前は~。おい!高橋ってやつ、ジャマだ、そこにいても役にたたんぞ。」

(カープからいっぱい取ってんじゃん!あんたの好きな金本の先輩じゃー!セリーグ見てるんだったら、高橋慶彦ぐらい覚えとけ~!

しかし、心だけ強気の私は、クチには出せずただただ思うだけ・・・。

   そしていよいよ8回表

      薮田投手登場!』Blog_206

 後半につづく・・・って、これ日記だろ!

    と、夫に突っ込まれたが、つ・づ・・・・。

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2007年2月11日 (日)

泣かせる男、薮田安彦 後半

【日記のはずが、前半、後半がある変なブログだが、とりあえず今日は“後半”】Blog_210

エセT客(なんちゃって阪神ファンのこと)のおかげで、心に溜まっていたうっぷんを、なんとかしてほしかったエセT客周辺のマリーンズファンは、薮田投手の登場で一気に盛り上がっていく。

Mファン「薮田~、頼んだよ~」

エセT客「“ヤブ”ならうちにもおるで~」

(今からアメリカから呼びもどすんかい!!それに藪じゃない、薮田だ~)心の叫びがなぜか関西弁もどきになっていた私、しかし声にはやっぱりできず。

 

     三番シーツ選手三振 

 

今まで静かに観戦していたお隣の女性が突然弾け、

「すご~い!がんばって薮田~!」の声援。

次の打者はエセT客が「アニキ~」と叫んでいた金本選手。

エセT客「アニキ~、△×□※○・・・・・・」

 

    四番金本選手三振

 

(さすが金本、見ごたえあるな~)と思った時、

エセT客「何やってんだよ、金本~。バットにも当てられないんか~」と。

Mファン「がんばれ~、薮田~」

カップルの男性「どうしたの?大丈夫?」

カップルの女性 「なんかわかんないけど感動なの。

      がんばって薮田~!」

お隣の女性かなり感動のようで、声が震えている。

 

    五番今岡選手三振

 

カップルの男性「もしかして泣いてるの?」

カップルの女性                                                        「だってすごくって、あの薮田って人・・・」

その女性は、おもいっきり泣きモードに突入

この試合以降も、私は薮田投手が泣かせたファンを何人か見た。

先発から中継ぎに変わった時は、きっと薮田投手も悩んだと思う。しかし、オリンピックの期間は、小林雅投手の穴をしっかり埋め、大きな信頼を勝ち取っていった。Blog_244

Blog_245 Blog_246 数字上のスピードはないが、素人目から見てもバッターの手元でのび、球が重く見える。なにより、一球にこめる“気合”が、見ているファンに伝わってくるのだ。必然か偶然か、薮田投手がマウンドに立つと、バッターはほとんどクリーンアップ・・・ますます熱くなってしまう。

2006年は、WBCの疲れも見え隠れしていたが、どんなに打たれても、薮田投手への野次はあまり聞かれなかった。

また、今年も“気合”で熱くさせてもらいたい。

     今年は何人泣かせるだろう?

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2007年2月12日 (月)

贅沢な指導

2005年3月26日の開幕。走塁ミスが目に付いた試合だった。

しかし、単なる走塁ミスというより、高度な技術についていけない選手達といっていいような内容だった。

その高度な技術をさせようとしたのが、この年から千葉ロッテマリーンズの1軍コーチとなった“高橋慶彦”コーチだった。Blog_159

おばさんの私にとって、高橋コーチはコーチというより、青春時代の『アイドル』なのだ。

現役時代(広島東洋カープ)、斜に構え、猫背で歩く。シャープな打撃に、隙のない走塁、華麗な守備。そして、今も変わらぬ甘いマスク。チームをこえて大好きな選手のひとりだった。

高橋コーチは、西岡選手を育てたことで名前があがるが、マリーンズの機動力野球を作ったのもこの人ではないだろうか。Blog_066

試合前の練習では、ノックだけでなく守備、走塁もこまめに教えている。Blog_276 守備の時、小坂選手と交代にゴロをさばき、若手に体で教えていた。走塁では、大塚選手、サブロー選手、今江選手のほか、福浦選手、里崎選手までも、選手から側に行き指導を受けていた。それまでは、ほとんどの選手が、走塁に関しては興味を持っていなかったようだ。

   

2006年になると、高橋コーチの周りには、2軍から上がってきた選手達が集まるようになった。

ちょうど、走塁の指導をしていた時のこと。正人選手や平下選手は、もともと俊足タイプのため、飲み込みも早かった。青野選手、南選手もそれなりに理解、青松選手、大松選手はもう少し・・・問題は塀内選手(あちゃ~)。

リズム感の感じられない塀内選手に、どう指導するのか興味津々だった。

なんと、ひとつひとつの構えから一歩一歩の動きまで(歩数と歩幅まで)、手取り足取りの指導。

まるで、初めて走塁を勉強する生徒のようだった。(へーちゃんはそこまでしてもらって、身に付いたかどうかは少々疑問ではあったが・・・)

ところで、選手達はわかっているのだろうか?

      この人の華やかな経歴を。

高橋コーチに空きができれば、若手、ベテランを問わず、必ず誰かしら側に行き指導してもらおうとする。高橋コーチも、自分の体を使って、繰り返し指導している。

よくよく考えると、

セリーグとパリーグの盗塁王が、一塁と三塁のコーチャーズボックス

にいるのだ。Blog_160

(西村ヘッドコーチ)

ちょっぴり贅沢な気分になる

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2007年2月13日 (火)

リーンちゃん、アイドルから女優へ

なにやらどこかのチームで、『マーくん』商品登録の話があるが、もし、元近鉄の“カラスコ”が復帰し(絶対ありえないけど)、大人気になり『カラスコ』の商品登録の話が出たら、北のあのチームは、すんなり受け入れられるだろうか?

ビジネスもいいが、ほんの少しだけ、まわりにも目を向けてほしい。

マスコットは、ただ着て歩いているわけではない。12球団それなりにがんばっているのだ。

Masukot_2005_haru_204 千葉ロッテマリーンズのマスコット“マーくん”のガールフレンドとされる『リーンちゃん』は、一応4歳の女の子だが、その場に応じて、子供になったり、大人になったりできる。

まだ、Mスプラッシュができる前のこと。

試合開始にまだまだ時間があったが、席に座って“ボー”っとしていた。

ベンチ上あたりに人だかりができていたので、なにげに見ると、ベンチ上のネット越しに、モデル立ちをし、いくつものポーズを決めるリーンちゃん。そして『私を見て!』といわんばかりのリーンちゃんを、まるで『アイドル』のように、何人もの大人がリクエストしながら楽しそうに撮っていた。(またこのポーズが、4歳とは思えないほど、“大人のモデル”なのである)Blog_283

試合が始まると、今度は常連のおじちゃんたち(平均年齢65歳以上)のアイドルになる。ビール売りのお姉さんと顔見知りになるより、おじちゃんたちには、リーンちゃんと顔見知りになることが、ステータスのようである。

Marines_06_09_1518_061 Mスプラッシュができてからは、ダンスを一緒に踊るようになるのだが、いつしかMスプラッシュのリーダーに見えてくる。人間の顔の中に、アヒル顔のカモメがいるのだが、これまた不思議と違和感がない。

リーンちゃんの仕草で、おすすめはターンをする時。スカートが広がるとき、そっと手で抑える仕草を見せる。また、頭を斜めにかしげかわいらしくうなずいたり、うれしい時は片足を上げ、膝をうまく使う。

そんな、乙女チックなリーンちゃんに悲劇がおとずれる・・・。

そう、あれは2005年4月24日仙台。相手チームのマスコット達は、リーンちゃんに対してお姫様のように扱ってくれるのがお決まりだった。

しかし、この日はハードなカラスコと絡んでしまったのが運のつき・・・アイドルリーンちゃんは、今まで経験したことのない、ひどい扱いをされてしまうこととなってしまった。Masukot_2005_haru_212

けれど、リーンちゃんは何があっても立ち上がってプロに徹したのだ。

この日から、

彼女はアイドルを脱皮し、女優になった

           ・・・と勝手に思った私だった。Blog_184

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2007年2月14日 (水)

なぜ初芝 清?

今日は、バレンタインデー!っと言っても、夫にチョコをあげるわけでもない私・・・。

強いて言うなら、オス猫にちょっぴり高級な缶詰をあげ、食べ慣れないものはすべて拒否するオス猫が、一日中『いつもの餌に替えてくれ~、替えてくれ~』となき続ける・・・これが毎年の我が家のパターン。

そういえば、今はやっていないようだが、マリーンズショップで3,4種類のロッテチョコ詰め合わせを用意し、バレンタインデーの日、選手にメッセージを添えプレゼントする企画があった。

その企画を目にした時、選手は同じチョコをいくつももらってもしかたないので、形をかえて?メッセージとともに、選手の元へ行くのだろうなと、夢のないことを想像した私に、

夫「どうしても、頼みたいことがあるんだ。おまえの名前でひとりだけチョコを送ってほしいんだけど、オープン戦のチケット買いに行った帰り、申し込んできて・・・。」と、思いがけない夫の頼みだし、チケット買いに行くついでだからと、OKを出した。

千葉までの長い道のりを行くのは、とても面倒だった。そんな気持ちを察してか、出かける前の私に、「この中に電車の乗り継ぎ時間と、座席と、チョコを渡す選手のフルネームとメッセージ書いておいたからもってって・・・。」と紙を渡された。(私が出すんだから、きっと小坂だよね?)と勝手に思い込んで、ぶーたれながら千葉に向かった。

電車の中で、その紙を開くと、

そこには“初芝清選手”の名が・・・。Blog_171

(は?はつしば~?)あまりの予想外の名前に固まってしまった私。

後で、夫に初芝選手にした理由を尋ねると、

「だって、おまえと同じ歳じゃん!」と言われた。

(え?そんな理由?)とりあえず言われた通りにしておいた。

ホワイトデーに、サイン入りカードが送られてきたが、

 “今ではしっかり宝物”Blog_300

初芝選手は、なかなかサインに出てこないので有名。まだ、サイン会がネットの隙間でしてた頃、里崎選手と初芝選手が出てきた日があった。里崎選手をパスし、初芝選手だけにサインをもらうファンが多かった。

パスされる里崎選手が「初芝さん、すごいっすね~。俺のいらないみたいだし~」とちょっとすね気味に言うと、

初芝選手は「サインはしすぎちゃだめなんだよ。俺みたいに“たま~に”出てきて、サインするとサインの価値が上がるんだよ。」と言っていた。

この頃、いつも出てきてくれる里崎選手に対し、サインをもらうファンはリピーターばかり。そのため、2回も3回もしてもらう訳にはいかず、ついにパスしてしまうのだ。(今では贅沢な話だが・・・)

そのあと、初芝選手は「だけど、いつもサインしに出てるよな~。大変だろ?」と、まわりのファン聞こえるように、里崎選手に向かって言った。

一見、いやみなおっさんに感じるが、里崎選手へのやさしい気配りなのだと思った。Blog_170

Blog_124 2005年9月22日、初芝選手の引退試合の日(今日で初芝選手、見納めか~。明日からは、コーチになってたりして・・・。)と思ったら、

「最後の夢が・・・それを実現した後、バットを置きたいと・・・」って、(あ、あれ?)と思ったが、今考えると、千葉ロッテマリーンズを『日本一』に導いてくれたのは、初芝選手のプレーオフ第2ステージ5戦目での必死の走塁だったのだろう。

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2007年2月15日 (木)

肩の里崎智也、リードの橋本将

浦和で、はじめて里崎選手を見た時のこと。

“なんなんだ、このキャッチボールは~!”

たかがキャッチボールなのだが、いままで見たことのない凄いキャッチボール風景だった。あの肩の強さはやはり感動ものである。Blog_228

ところで、千葉ロッテマリーンズには二人の正捕手がいる。一人は世界一になった“里崎智也”そして、もう一人が“橋本将(たすく)”。

2004年は、ピッチャーに無駄に球数だけ投げさせているように見える、あの橋本選手のリードが好きになれなかった。シンプルで、へんに強気のリードに走らない里崎選手のほうが、私は好きだった。

強気のリードらしいが、なぜか弱気に見えてしまう、橋本選手のリード。散らさないわりには、意味のないフォアボールが多いリードに、ファンからちょっとばかり厳しい声援が飛ぶ(野次ではない)・・・すると、橋本選手もくやしいのだろう、そのたびに自分の腿をミットでたたき、“喝!”を入れる仕草をよくしていた。

2005年になると、里崎選手は派手に大活躍・・・に一見思えるが、私の中では2005年はどちらが上?と問われれば、「ほとんど同じだが、微妙にタスク」と答えるだろう。Blog_218

2005年は10勝以上の投手が6人いたが、その中に、投球は繊細なのにすぐ熱くなる牽制の上手い男がいた。セラフィニ投手である。

セラフィニ投手は、フォアボールが多く見ていて少々疲れる。

(もう勝たなくていいから、いい加減ど真ん中に投げてくれ~。この際、シングル打たせて、牽制で刺せば2球で終わる・・・)

などと無責任なことを考えた時もあった。

しかし、(今日はサーフの調子悪そうだな~)と思っても、橋本選手と組むと、不思議と何とか立ち直り、冷静な投球を見せてくれるようになった。

里崎選手は、2005年になると強気すぎるリードが目に付き、はまると面白いが、案外“打ってねコース”に投げさせるときも多かった。相変わらず、肩は凄かったが・・・。

リードは、2004年が里崎選手、2005年が橋本選手が面白かった。Blog_234

Blog_230 ただ、2006年は橋本選手の怪我で、里崎選手がデットボールで気を失っても交代できないほどの状態のため、お互い切磋琢磨どころではなかったようだ。

全試合出たい本人たちには、いい迷惑だろうが、私としては“今年は、二人で試合半分ずつね”って感じ・・・。

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2007年2月16日 (金)

 ~サトかタスクか~

たったひとつのポジションを争っているのに、仲良くなんかできない!Blog_063

Blog_177 それはわかっているのだが私としては、ポジション争いをしているライバル同士が、ベンチで相談しあったり、ライバルがタイムリーなどを打ったとき、ベンチで自分のことのように喜んでる姿をみるとちょっとうれしくなる。

里崎選手と橋本選手が、DH(又は代打)と捕手という形で同時にネクストバッターズサークルあたりで一緒になることがある。相手ピッチャーを見ながら、二人でよく話し合ってる姿を見る。私は、この風景がとても好きだ。

以前、あるチームのJ選手が、前の打席で空振りしたI選手に、ピッチャーのことを尋ねると、手を振り払い無視してベンチに戻っていった。そこは、ひとりひとりが強いチームなのだが、どうも人間の温かみがものたりない。

リードも対照的だが、打撃はもっと対照的な二人。

橋本選手は、じっと見るタイプ。案外大切なところでフォアボールを選んでくれる。スイングスピードはピカイチ、当たると気持ちよく内野を抜け、ホームランはライナーで飛ぶ。Blog_236

(2006年5月14日、1打席目ホームランを打ったタスクの2打席目、黒田投手から3塁打を打つ)

 

里崎選手は、早いカウントからガンガン振っていくタイプと言われている。私としては、1ストライク、2ボール後の次の球を狙う里崎選手がいい。Blog_051

(2005年5月29日満塁ホームラン)

 

2006年なんといっても忘れられないのが、6月18日の神宮球場、大雨の中での戦い。5回表、【S5対3M】2アウト満塁。しかし、大雨のため、素人の私でも、この回に少なくとも同点にならない限り、ゲーム終了になるだろうと予測はついた。

みんな里崎選手の一振りにかけた。

そして打った~満塁ホームラン!

『さすが、世界を経験した男』

千葉ロッテマリーンズには、

世界一に導いた世界“1”のキャッチャー里崎智也と、

2005年のチーム“1”のキャッチャー橋本将がいる。

同じ年齢、同じ四国出身、そしてたった一つしかないポジション。

もし、ポジションが違ったならば、きっとふたりは親友同士だったかもしれなかったのに・・・。

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2007年2月17日 (土)

NOT あひる BUT 『カ・モ・メ』

ある晴れた日曜日。千葉ロッテマリーンズの球場、マリンスタジアムは家族連れが多く、穏やかな日差しの下、試合前からどこもかしこもにぎやかだった。

その日、私の後ろに3世代5人家族が観戦に来ていた。

その家族の中に、小学校低学年の女の子がいた。女の子は、おばあさんと楽しそうに話をしはじめたのだが、徐々に愚痴になっていった。 Marinezoo_2004_039

女の子「ねえねえ、おばあちゃんもかわいいとおもうでしょ、マーくん。」

おばあさん「そうだね~」

女の子「かわいいから、友達に見せてあげたの。なのにひどいんだよ、みんなアヒルって言うの。カモメって言っても嘘つきっていうの。」

私(アヒルね・・・確かに見えてしまう)

女の子「おばあちゃんは、アヒルに見える?ちゃんとしたカモメにみえるでしょ!ね!」

私(ん?ちゃんとしたカモメって?)

おばあさん「ん~、カモメ・・・かな?」

必死の訴えに、笑いをこらえる家族たち&周辺。

マーくんは おもいっきりアヒル顔 だが、女の子の言葉を借りれば『ちゃんとしたカ・モ・メ』なのだ。Blog_280

Blog_079 Blog_084

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2007年2月18日 (日)

しなやかに仕留める!青野毅のセンス

今日から千葉ロッテマリーンズ公式戦チケットの売り出し、ネットの戦いがおこなわれる。ファンもいろいろ戦いがあるのだ。一度でいいから、ネットでのチケット獲得の大勝をしてみたいものである。

2006年4月15日西武戦。大松選手が満塁ホームランを打ち、チームは大勝!

大松選手は、二軍の時から期待され、ガンガン打っていた。しかし、この日夫は、ある選手に何かを感じていた。Blog_418

2004年、夫はサブロー選手を「あのスイングはいい!必ず強打者になる!」と言い続けた。デットボールの時は、(サブちゃん、ラッキー!打率下がんな~い)と思ってる私の横で、「俺のサブローに何すんだ~」と言っていた。そして、2005年、千葉ロッテマリーンズの強肩4番として活躍していたサブロー選手。

今年の夫の期待選手は、この日9回表の5打席目にヒットエンドランのサインで、やっとバットにあてた、5打数1安打の“青野毅”内野手だった。Blog_260

その後、青野選手は「1号も、2号も満塁ホームラン」と珍しい記録も出て活躍。

打撃が良くても、守るところがない。その日によって、サード、セカンドならまだいい、ファーストも。時にはレフトもやらされる。思いのほか、なかなかセンスがいいようで、下手な外野手より安心して見ていられた。

固定されない守備はかなり大変に見えた。その上打席でも、高度な要求がされ始めてきた。しかし、一つ一つ身につけ着実に進化していった。

私が、夫の言葉に納得したのは、7月29,30日のオリックス戦だった。

29日は、きちっと振りぬいてのヒット、送りバントに犠牲フライと、内容の濃~い青野選手の打席を見ることができ、その上勝利。Blog_258_1

30日は、フォアボール、内野安打があり、極めつけが9回表。

この時、2階のホームベースが真下に見える席にいた。菊地原投手の球が、バッターの側で急に変化する。

敵ながら「うわっ!曲がって入ってくる~打てそうもないね」と感心しきり・・・。

青野選手は、菊地原投手の球をきっちりカットし、2-2からインコース低めに食い込むような球(スライダーとのこと)に、食らいつくようにおっつけて三塁線を破り二塁打にした。

残念ながら負けはしたが、今江選手や西岡選手の1軍に出たての頃のような、未来への楽しみを感じさせてくれた。

8月19日の日本ハム戦では、ライトへのホームラン!Blog_157

夫は右バッターである青野選手が、ライトにホームランを打ったことにセンスを感じるのだと、相変わらず勝手に感動していた。

今年は、センスの良さを生かし、

     『 大ブレーク』・・・かな?

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2007年2月19日 (月)

マスコット交流『マーくんとB・B』編

昨日は、チケット争奪戦に破れ、憂うつな朝を迎えた。今年の開幕戦、2戦目ともに行けないかも・・・残るは3月1日の売り出し。以前は売り出しの日、夫一人しか並んでいなかった時期があったのに・・・。

今年の千葉ロッテマリーンズの開幕戦は日本ハムだが、B・Bも来るのかな? 

チームによっては、マスコット制限があり残念に思う時もあるが、それなりに楽しませてくれる。Blog_331

_blog_319 ビジターで遠征すると、不思議と『マーくん』が頼もしく思える。ダンス好きのマーくんは、ビジター先で、試合前の相手チームダンスを見ると、じっとしていられないらしく、いつの間にか参加している。またこれが上手いこと・・・しかし、このダンスやマスコット同士の絡みが、ビジターとして行った私たちファンには非常に助かるのだ。Marines_06_09_1518_019

マーくんが来ると、敵チームのファンも必ず『かわいい』といってくれ、殺伐とした雰囲気が和らぐのである。

マスコット達も、相手チームのファンや選手を大切にしてくれる。

マスコットの絡みで一番面白いのは、やはり日本ハムマスコット“B・B”だ。

東京ドームでの流しそうめん(試合中3階でB・Bとマーくんファミリーで、本当に流しそうめんをやっていた)も面白かったが、私の中での傑作は、札幌ドームでの一羽と一頭のからみ・・・。

慣れない札幌ドーム。入場口に向かって、迷いながら通路を歩いていくと、関係者専用のエレベーターが見えた。その前で関係者数人と見覚えのある一羽と一頭のうしろ姿。

エレベーター待ちをしていたらしいが『二人でいることが楽しくてたまらないといった態度で一羽と一頭がジャレあっていた。くれぐれも言っておくが、そこにはファンは誰一人いない、そしてほとんどファンは立ち止まって見る所でもない。そのジャレあいは、試合中と同じ仲の良さである。

やっぱり仲良しなのだ!カモメと熊は・・・Marines_06_09_1518_049

どこのマスコットも、敵味方をこえて応援したくなった一コマだった。

ちなみに、B・Bは選手のものまねが上手いが、自チームだけではない。いつもロッテベンチ前まで来て、ロッテ選手のものまねをしてくれる。機会があったらぜひ観てほしい・・・そっくりだから。

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2007年2月20日 (火)

ルパンと呼ばれる男 代田建紀

FAや、大型トレードと言われてチームを移った選手は、必要以上の苦労はさけられるとは思うが、微妙な位置で、地味にトレードされる選手達は、余分な苦労も多々しているように思う。

社会人から、近鉄ーヤクルトーロッテまではまだよかったが、その後戦力外、そしてまたロッテに復帰・・・よくぞあきらめずにがんばった、代田建紀(だいたたけのり)。といっても、1軍2軍を行ったり来たりで苦労はつづく。

M客「走るのが仕事だ~、行け代田~!」

そんな応援の中、一軍での試合で、めずらしくフルスイングをせず、バットに当て振り切らず一塁に走ったことがあった。ショートの後ろに落ちヒットになったのだが、体が細く球に押されてしまう代田にとって、あの俊足を生かすのにピッタリのバッティングに感じた。

しかし、その後もフルスイングにもどり、いつしか2軍に落ちていた。

2006年9月20日、横須賀スタジアムでの湘南シーレックス戦を見に行った時のこと。

Marines_06_09_20_23_001    (湘南シーレックスのレック)

私の前の座席に、晩酌グッズを持った通い慣れてる風の男性がひとり座った。

私は、めったに観られない2軍戦とばかり、マリーンズ選手をせっせとカメラに収めていると、その男性からマリーンズ関係者かとたずねられた。単なるファンだと答えたが、『誰かに似てる』と思った私は、つい「お身内の方でも?」と尋ねてしまった。

その方は、笑顔でそっとうなずき、「でも、なかなか上がれなくて・・・」と。

Marines_06_09_20_23_005 よくよく聞くと代田選手のお父さまとのこと。お若くて、代田選手よりはっきりいってかっこよく、そして腰が低く・・・。(この腰の低さ、代田選手と一緒なんだ~)と思いながら、お話しすると、息子を観に来たというより、野球好きという感じで、これまた野球話が面白いこと。

盗塁の時は、左ピッチャーより右ピッチャーの方が、実は走りにくいとか、今シーレックスのあの選手、ベース前での走りがうまいんだ、ファームの盗塁王目指してるんだよ、とか(そういわれても、息子さんの代田選手も盗塁王争ってるんですけど・・・)、今日の古谷くんは調子悪いが、いいピッチャーなんだよ・・・とか。

極めつけは、「あの子(代田)は、昔、盲腸の手術をしたのだけれど、医療ミスで生死をさ迷ったことがあるんだ。」と聞かされた。とても大変だったようだが、今でも滑り込むと、その時のお腹の傷に、ベルトのバックルがあたりかなり痛みがあるそうだ。

この日、あまり2軍戦を観ていない私にとっては、貴重な楽しい解説つきのゲームが観られ、とても充実した1日だった。

代田選手が走者で出た時の、あの“ドキドキワクワク感”を、今年はたくさん味わいたい。

そのためにも代田選手には、もっとずうずうしく、せこいヒットと言われようと、振り切らず『バットに当てたら走れ!』のバッティングで、また復活してほしい。Blog_427

Blog_428 そして、“次の塁を必ず盗め!”

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2007年2月21日 (水)

蝶のように舞う、久保康友 in仙台

あと3回寝ればオープン戦!久保投手も2年目のジンクスに少々泣かされたが、今年はどうだろう?

 2006年は、あまり調子は良くなかったが、なんとかローテを守った久保康友。時々、ヘロへロになってベンチにもどって来る姿を見て、そのまま倒れちゃうんじゃないかな?と思う時もあった。

今年の課題は、落ち着きとスタミナかな?

 

2005年4月24日仙台での試合“久保康友”初先発。Blog_072

イーグルスは、出来立てホヤホヤのチームのため、他の球場とは少々違った。まず、一塁側がビジターなのだが、あまり浸透していなかったようで、一塁側にいたイーグルスファンから「なんで一塁にロッテファンがいるんだよ~、ロッテファンは普通3塁側だろう。」と文句を言われ、DJは自ら相手チームに、野次まがいなことをマイクを通して言う。近隣の迷惑になるからと鳴り物禁止にしたまではよかったが、いざ試合が始まると、乾いた音の“ガチャガチャ音”が鳴り響き、球団のスピーカーのボリュームはかなりの音量、鳴り物うんぬんの話ではない。

そんな中、久保投手は私の不満を拭い去るかのような快心の投球

気持ちよく観ていると、橋本捕手のサインに首を振った。それも1回ではない。首を振った球でしっかり三振とっちゃうし・・・。

その様子を見ていた夫は

         「凄い、久保が舞っているようだ!」

そして「タスクのサインに首振る久保は、本当に新人なのか?」

と言う夫に、私「一応、新人。」と答えたが、明らかに新人離れしていた。

8、9回になると、まだ力が残っていたのかと思わせるほど、一段と球に威力を感じ、跳ね上げる右足がより高く舞う。Blog_433

確かに久保は舞っていた!

前日に続き、この日は打線も好調。Blog_071

Blog_070 Blog_229 この時の、のびやかなフォームに、戻す気はないのだろうか?

躍動感あふれる、あの日のピッチングをまた観たいものである。

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2007年2月22日 (木)

俺たちの飼い主

今日は2月22日・・・にゃん、にゃん、にゃん、つまり猫の日。

俺“ガス”!今日は飼い主ふじきせきに代わり、ブログを書く。

家族構成は、俺(名前ガス、サバトラのオス猫)、姉のグレイス(省略されグレ、キジトラのメス猫)、おにゃじ(飼い主の夫)、バキ(飼い主)、以上2人と2匹。以前、黒猫の老女もいたが・・・。

俺とグレは、もう1匹のオス猫と3匹で、2000年2月28日の朝、ゴミの日にゴミ箱の上にビニール袋に入れられ置かれていた。簡単に言えば、悔しいが『捨て猫』である。0007

バキがゴミを捨てに行った時、俺たちを見つけ、とりあえず保護。といっても、俺は熟睡、グレが必死で『ミーミー』助けを求めていたと言う。まだ、へその緒がついたままだったらしい。

猫好きのバキは、その頃一緒に暮らしていた男がいた。しかし、見た目がどうしても動物好きには見えず、『猫好きと結婚』と決めていたバキは、この男とは結婚は無理と考えていたそうだ。

しかし、俺たちを拾ってしまったバキは、覚悟を決めて、眠っている男の耳元に俺たちを置いた。

その瞬間から、この男は『超動物愛護人間』に変貌をとげたのである。

この男こそが、俺たちの大好きな“おにゃじ”なのだ。

0014 俺と兄のオス猫は、顔が良かったせいで、すぐに引き取り手が見つかったが、ちょいブスのグレはどうしても見つからなかった。

兄のオス猫は最初にもらわれていったが、悲しいことに無責任な飼われ方をされ、すぐに死んだそうだ。

俺の未来の飼い主は、水野美紀似のかわいいおねえさん。もう1匹すでに飼っているのでもう少し大きくなったら引き取られる予定だった。名前も“ヤスミン”とかわいい名前が決まっていた。時々俺を見に来てくれたが、真っ先に俺を抱き上げ、キスなんかしてくれた。俺としては、このまま持って帰ってほしかったのだが・・・。

しかし、きれいな飼い主を待つ俺に、悪夢がおとずれた。

一本の電話・・・受話器の向こうで、「今いる猫が病気をもっていて、一緒に飼えなくなった」と。

この電話とともに、俺の飼い主は水野美紀似のおねえさんから、おかめそっくりのバキへと移行したのだった。

次回は、俺たちの名前の由来を書こうと思っている。0003

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2007年2月23日 (金)

悩める未来の四番“大松尚逸”

2006年6月13日、この日生まれて初めて、プロ野球でのランニングホームランを目の当たりにした。

この日の外野は 守備の達人大塚選手やサブロー選手が入っておらず、ピッチャーは打たせて取る小野投手。

(どうか、外野にフライ飛びませんように)

と、ひたすら神に祈っていた私。しかし、神は易々願いを聞いてはくれなかった・・・(いつものことだが)。

6回表、ベイスターズの古木選手が打った球がセンターの大松選手のところに飛んでいった。

すでに、この時期の千葉ロッテマリーンズは守備がボロボロで、私自身(あっ!落としそう~でも2塁打止まりならまあいいか~)とエラーに慣れて、かなりのことまで受け入れられる器に成長?していた。

(大松選手大丈夫かな~?あっ、やっぱり落としちゃった・・・って、後ろに誰もいないじゃん!おいおい、古木2塁蹴ってるし。)

大松選手にエラーがついたが、ボールが抜けた時、誰もカバーに入っておらず、慌ててフランコ選手とワトソン選手が来たが後の祭り。3匹の猫が、毛糸の玉を転がして遊んでいるようにしか見えず、悲しすぎて笑うしかできなかった。

そんな、ちょっと不器用な大松選手も、打撃は古賀監督おススメ選手だけある。

Blog_438 4月15日、西武戦では豪快な満塁ホームラン!

それも 『第1号』 である(予定では、ヒーローインタビューは大松選手だったはずだが、内くん打たれてなしとなる)

5月20日のドラゴンズ戦。Blog_460

      なんと“スクイズ成功”

この日のマリンの風は強かったが、大松選手は、大塚選手ばりの素晴らしい守備もみせてくれた。

調子が良くなると、他チームにマークされるため、一時期外の球を空振りさせられていたが、素直な性格なのだろう欠点を受け入れ練習したらしく、徐々に外の球にもバットを当てられるようになってきた。Blog_436

Blog_437 (2005年7月17日オリックス戦初ヒット、ちなみに夫はこの日から禁煙)

やはり、選手の成長を見るのはとても楽しい。守備は気長に待つことに決めた。

今の高校野球の指導者に一言

「プロに入る可能性を持った野手の子には、守備の魅力も教えてやってください。」

(ちなみに、ピッチャーをやる子はもともとセンスが備わっているので、野手転向にも対応できる)

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2007年2月24日 (土)

マスコット交流『ピンクの麻薬』編

いよいよ今日から、オープン戦がスタート!

ドラゴンズのマスコット達も、24,25日とマスコット交流の企画をしているそうだ。

私がはじめてドラゴンズのマスコットを生で見たのは、2005年5月21日。マリンスタジアムに来てくれた時だ。

そう、この日はいつもと違っていた。いつしか私の目は、マーくんファミリーを追っていたつもりが、あの『ピンクの麻薬』を追っていたのだ。Mascot_198

そんな私に「好きでしょ、ああいうの・・・でも動きはやっぱりマーくん達かな。」と何も言っていないのに、負け惜しみみたいなことを一人で言ってきた夫。

6月11日、私達はあの癖になりそうな『ピンクの麻薬』に会いに名古屋に向かった。

試合開始のかなり前から、マーくんファミリーはファンサービスに励んでいた。おかげで、ドラゴンズファンの方達からも「ロッテのマスコットかわいいね」とうれしい声が・・・。Mascot_143

しか~し、試合直前のマスコット同士のからみがはじまると、徐々に元気がなくなり、落ち込む人が私の横に若干1名、夫である。

そして夫の口から悲しそうに「やっぱり、かわいさもってかれてる・・・。」と、一言。

マーくんファミリーは、ただ見かけがかわいいだけでなく、そこには鍛錬されたマスコットのテクニックのようなものを兼ね備えているのである。そのため、ホームのみならず、ビジターでも敵ファンの注目の的となっていた。

ホームでの『ピンクの麻薬』は、水を得た魚のように、マリンスタジアムでは見られなかった細かな技を披露してくれた。

『ピンクの麻薬』は、2等身ながらも繊細な動きができ、正面から見ると鼻の穴しか見えないがそこがまた、たまらなく不思議でかわいい。Mascot_213

ダメ押しは、ころんだところ・・・ずっと転がしておきたくなる。Mascot_152

マーくんファミリーが最高にかわいいと思っていた夫は、この日試合は勝ったのに、負けた思いがしたのだろう・・・あの『ピンクの麻薬』 “パオロン” に。

ちなみに、シャオロンとドアラも、しっかりファンに愛されているようだった。Blog_461

Blog_462

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2007年2月25日 (日)

和風投球“小林宏之”

各チーム、客層を広げるため、いろいろ努力しているが、その中で、『イケメン選手』として若手を売り出したりする。時折、イケメン?と尋ねたくなる選手も何人か・・・。

昨日のオープン戦の先発だった千葉ロッテマリーンズの小林宏之投手(通称コバ宏)は、首をかしげる必要はないだろう。『イケメン』で売り出していないが、たしかに『イケメン』だ、いや外人モデルだ。Blog_424

2005年、コバ宏投手がまだ『イケメン』だと世間に知れ渡ってない頃のこと。マティ選手がユニフォームをパンタロンスタイルで着こなしてから、スタイルの良いマリーンズの選手にもすぐに広まった。さすがコバ宏投手、普段着のセンスもナチュラルでおしゃれだが、ユニフォームも自然に着こなす。Blog_495

試合前、練習風景をボーっと見ていたとき、後ろに座っていた親子の会話が耳に入ってきた。

父「あの大きい二人の外人だれだ?」

息子「一人は背番号4番だから、フランコだよ。もう一人は、背番号見えない・・・誰だろう?」

父「もう一人の方だれだ?かっこいいな~あの外人」

私(確かにマティーより外人ぽいかも。しかし、髪を染めてはいるが、バリバリ日本人のコバ宏なんだよね。)

言うべきか、言わざるべきか迷ったが、かっこいい外人のままがいいと思い、静かに聞き流していた。

かっこいいコバ宏投手は、手足が長いため、実は投げてる最中の姿はさまにならない。投げ終わったあとの一本足の姿がおススメである。Blog_483 Blog_481

(2005年8月26日初完封)

見かけは外人風だが、投球はじつに“和風”である。きわどいところを狙いすぎて、気づくと球数が多くなっている。そのため、いつも7、8回あたりで突然崩れることもしばしば・・・。

しかし、2006年はWBCの怪我で出遅れたものの、フォークがいいところで気持ちよく決まり、投手戦が好きな私にとって、小林宏投手の試合は長時間見ごたえがあり楽しいものであった。(ただ、トイレに立つタイミングがなかなかつかめなかったが)

ただ、相手チームのエース級にあたることが多く、試合前のファンの会話は

「とりあえず、コバ宏で今日勝てばもうけもの・・・負けても相手が○○だし。」

私が見た試合で○○には、少なくともメジャーに行った松坂投手が3回は入る。そして、3回ともコバ宏投手が勝ち投手なのだ。(JPは2回、いずれもコバ宏投手勝利)

  今年の会話は

「とりあえず、今日のコバ宏でまず勝てるから・・・。」

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2007年2月26日 (月)

俺たちの名の由来

悪いが今日は、俺(オス猫ガス)がブログを書かせてもらうことにする。0010

        (上が姉、下が俺)

   

俺と同い年の姉の名は『グレイス』(普段は略されてグレ)

グレは結局飼い主が見つからず、バキ(飼い主)が飼う事となった。名前を付けるにあたって、ちょうど競馬の第60回桜花賞が間近だったので一着になった馬の名にすることにした。といっても、すでにダントツ1番人気が『サイコーキララ』・・・何も考えていない“ノウテンキバキ”はレース前から

「ほとんどサイコーキララで決まりだし、『キララ』ってかわいいよね。もし2番人気ならミューズか~それもいいかな~」

などと決め付けていたが、、もし『アカズキンチャン』が1着だったらどうするつもりだったのか?いや、『アカズキンチャン』だったらまだいい。 『ジョーディシラオキ』だったらなんて呼ぶつもりだったんだ。俺は、後先考えないバキがつくづく嫌になる。

桜花賞の結果は、6番人気の『チアズグレイス』が1着。そしてこの日から、姉の正式名は『グレイス』となった。まあ、まともな名でよかったが・・・。0022

このころ、甲州街道沿いに住んでいたため、空気の汚さはピカイチだった。

おにゃじ(飼い主の夫)が何気なく、その汚い排気ガスだらけの道をながめ

「似てるよね~、色。」その一言で、後に俺の名は『ガス』となった。0002

おにゃじのことは大好きだが、できればもう少し考えて付けてほしかった。姉が馬の名なら、俺も芦毛(あしげ)ということで『オグリキャップ』とか『タマモクロス』とかあったと思うが・・・。

おにゃじは、誰かに俺たちの名の由来を聞かれると、グレのことはじょう舌に説明するのだが、やはり俺のこととなるとちょっとためらった。そして、

「サッカー選手のガスコインからとった。」と言う。

しかし、これは後付で、おにゃじは一度もその選手の活躍を見たことがない。これも一種の親心なのだろう。

     ではまたそのうち・・・

Blog_199               もう寝る事にする。

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2007年2月27日 (火)

小野晋吾 骨折!

キャンプ中故障した選手も、オープン戦がはじまり、徐々に開幕に向けて戻ってきている。ベテランになると、開幕に焦点をあわせてくるので、オープン戦もある意味キャンプの仕上げみたいなもののようだ。

もし、シーズン中の故障だと、本人も球団もいろんな意味で痛い。

Blog_440 2005年6月2日マリンスタジアムでカープ戦。ルンルン気分で球場に向かう私は、いつものように地下鉄の有楽町駅のホームで、チラッと売店に目を向ける。

そんな私の目に、高く筒状に連なった新聞の衝撃の見出しが飛び込んできた。

『小野、骨折!』 (ちらっと小野の下に片仮名で“シン”が見える)

私はめまいがするほどショックを受けた。

(たいへ~ん!どうしよ~、シンゴが骨折・・・)

普段、かなりのことでもない限り仕事中の夫に電話をかけない私。しかし、私の手の中では、すでに「なに?なんかあったの?」と、夫の心配そうな声が響く。

「売店の新聞に、小野骨折って載ってるの~。晋吾かなりひどいのかな?」と私。

「え?・・・あっあれね!あんただけだよ、今の時期『小野骨折!』の見出しで“晋吾”って発想する人。それに一面でしょ、載ると思う?」と、受話器の向こうで大笑いの夫。

そう、小野は小野でも、サッカーの“小野伸二”選手だった。

 

2006年、小野晋吾投手の活躍は一面に載せたいくらいすばらしかった。Blog_446 Blog_447 Blog_448

打たせてとる小野投手は、穴だらけの守備陣に耐え、ひとりで戦った試合が数多く見受けられた。

7月1日のホークス戦では、7対3で勝ったが、3失点はズレータに2本、松中に1本のホームランのみの失点。外野にはできる限り飛ばされないようにしたのだろうか、打たせて取る投手なのに、外野に飛んだのはホームラン以外、3本のヒット3本のフライのみ。

9月13日の楽天戦では、自分で投げて自分で捕ることに磨きのかかった小野投手に加え、守備もよかったため、試合は7対0の完封。小野投手の投げたあとの守りへの移行は本当に感動ものである。

今シーズンは、ぜひ鉄壁の守りの中で、

           投げさせてやってほしい。

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2007年2月28日 (水)

俺たちの誕生日

今日で7歳か~、人間で言うとおっさんと呼ばれる歳なのか?Nennga_046

2000年の今日、俺たちは生まれた。そして、生まれてすぐ捨てられた。

      母親のぬくもりも知らずに・・・。

捨てられてすぐにバキ(飼い主)に拾われたため、とりあえず凍え死ぬことは免れた。

生まれたての俺たちは、拾われてから病院通いが続いた。ミルクを飲んでいるのになかなか体重が増えない。なぜか、尿が多く出過ぎておしっこ焼けをおこし、下半身が手羽先みたいになってしまった。

下半身の毛が薄くなった俺たちを見て、無神経なバキは「あ~上が猫で、下が手羽先じゃん」と失礼なことを口にする。

しかし、後でわかったことだが、おしっこ焼けで下半身鶏状態になった原因は“バキ”のせいだったのだ。ミルクを薄めすぎて水分の取り過ぎになっていたらしい。おかげで、俺たちはミルク嫌いになってしまった。

病院通いは、なかなか好きである。俺担当は若くてかわいい看護婦さん。検査が終わると「はい、終わりましたよ~、お母さんのところへ・・・あらあら、こっちじゃないのよ。まだちっちゃいから、わかんなくなっちゃうのね。」と、看護婦さん。

     いや、わかっている。

検査が終わると、俺はどうしてもやさしい看護婦さんから離れたくなく、必死に向きを変え看護婦さんのもとへ戻ろうとする。しかし、そんな俺をバキは無理やり引き離しにかかる。

(このまま、看護婦さんのもとに預けていってくれ~)という俺は叫ぶのだが。

医者もペット好きの心理を見抜いて、上手いことを言う。

どう見ても、3匹の中で一番見劣りするグレに「かわいい女の子になってきましたね~。将来は美人さんだね。」と、(どう転んでも無理だろう)と思うが、平気で歯の浮くせりふを言う。0042

俺には「きれいなグレーで、アメショウ(アメリカンショートヘアー)が入っているのでは?」と。わかっているが、うそでもうれしい。0023

なのに、バキは「メスは飼いやすいのにもらい手つかなかったのは、顔がブスだからですかね~。それに、オスは足短いからバリバリ和猫ですよね。なんちゃってアメショウって呼んじゃお。」と、相も変わらず無神経さを披露。

しかし、水野美紀似のかわいいお姉さんにもらわれることが決まっていた俺は、このバキの仕打ちにじっと耐えていた。

この後、このおかめ顔のバキが飼い主になってしまうこともしらずに・・・。

           続きはまたいずれ・・・。Nennga_008

              じゃ、そろそろ寝ま~す。

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