ロッテ選手名鑑内野手編

2007年1月26日 (金)

小坂シート

今日は26日。“26”は千葉ロッテマリーンズでは、ファンの背番号となっている。

私は、小坂誠(現巨人)が大好きだった。しかし、本当のファンとは言えなかった。

フィールドシートができる前、A指定席130~140番台は小坂のすべてが良くわかるおススメの場所だった。

その場所は、ファーストより少し後ろのため、ファーストへの流れる送球、ゲッツーの際の小坂のジャンプ、そして前後左右の『海より深い守り』といわれる守備・・・小坂を満喫できる。  (小坂ゾーン参照)

そこを、私は“小坂シート”と呼んでいた。(ちなみにS席真上の2階自由席は、全体の中の小坂の守備範囲が堪能でき、プチ小坂シートと呼んでいた)

“小坂シート”は周りに比べ、静かに観戦(私はうるさかったが)。そのシートのみなさんは、トイレや喫煙は攻撃の時。守備の時は、暗黙の了解でほとんど席を立たない。

小坂のプチファインプレー(普通のショートなら絶対ファインプレーになるレベル)がでれば、「いつもの普通のプレーだよ」って、小さく微笑み小さく拍手。

超ファインプレーの時は、拍手の音が逆に小さい。そう、小坂シートのみなさんは“ぐっ!”と膝の上で【ガッツポーズ】。

ある時、レフト線ギリギリのフライがあがった。そして、いつものように小坂が追いキャッーチ!

すると、チケットもらってたまたま観に来た一見風のおじちゃんが、「ショート、追いすぎだぞー!」と言ってしまった。

(おじさんの言葉、普通に考えたらおっしゃるとおり。しかし、座った席が悪かった、ここではそのセリフは絶対禁句)と、思った瞬間、案の定いっせいに

『小坂はいいんだよー!』

『小坂のいつもの守備範囲なんだよ!』

『あれが小坂の守備なんだよ、しっかり見とけ!』

と、小坂シートのみなさんの、凄まじいきつーいお言葉の嵐。

そういえば、1億800万の年俸の時、ふっと思ったことが・・・〔1億円の守備、800万の打撃?〕と。今思うと、いやみではなくお金を払ってでも、見に行く価値のあった守備だった。

Blog_049_1 Blog_048_3 堀選手が、試合前の柔軟体操の時、そっと小坂の横に座り、小坂のグラブを借りた。大事そうにはめ、にこにこグラブを眺めながら小坂と話していた。

グラブに磁石でも付いてるのかと思ったのか?小坂というより、小坂グラブに敬意を表していたような・・・。そんな堀選手もいいよね。

| | コメント (0)

2007年1月27日 (土)

やっぱりいいな、堀幸一

何気なく見た今日のスポーツニュースの見出し。

『山本昌の実弟が初の春切符』

ふ~ん、弟も高校で野球やってるんだ~って、えっ!おとうとが高校生???

一瞬頭の中が“?”だらけになったが、本文を読むと納得。弟さん監督だった。

最近ベテラン選手のネタが目に付く。マリーンズのベテラン達も、始動し始めたようだ。

今年も、内野の争いが激しそうだが、ぜひとも堀選手にはまだまだがんばってもらいたい。

Blog_050_2 2005年5月14日、最初で最後となった【不思議ユニフォーム】の日だった。

試合前の柔軟体操の時間になっても、誰一人として選手が出てこない。

何かあったのかと心配していると、まず、諸積選手がはずかしそうに出てきた。最後に出てきたのが、いつもは早めに出てくる堀選手だった。その【不思議ユニフォーム】、笑うことさえできないほど違和感がありすぎた。

私は、申し訳ないが恥ずかしくて、つい目をそらしてしまった。まわりの方々は、「いまに慣れれば、どおって事ないよ」「もうすぐ、見慣れてくるよ」と、やさしくも、せつないお言葉。

(年頃の若い選手は、きっとはずかしいだろうな)と思っていたが、実は最後まで“モジモジ”恥ずかしそうに守っていたのが、堀選手。勝負どころではなかったようだ。(この日は、しっかり大差の敗北)Blog_052_1

こんなとっても“シャイ”な堀選手。あるサインに出てきてくれた日のこと。

その日は、時間もなく、今にも一降りきそうなお天気だった。私は、時間的にギリギリのところに並んでいたが、その前に雨が降り出し、もう終了か~と思っていた。しかし、堀選手が、係りの方にタオルを借り、自ら雨に濡れながらも、テーブル拭き拭きしながらサインを続けた。

しかし、終了時間もきて、係りの方が、「もう終了なので」とストップ。すると、堀選手

『書いちゃだめなの?書いていいなら、最後まで大丈夫だよ』とやさしい口調で、係りの方と交渉。係りの方に気を遣いながらも、最後まで雨の中並んでいた全員にサインしていた。

ファンサービスとしてサインもいいが、それ以上に、その空間から伝わる選手らしさも素敵なファンサービスに感じられる。

シャイだけど、ほのぼのとしたやさしい堀選手には、今年もぜひ、得意のライト打ちを魅せてほしい。

Blog_054_1

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年2月 5日 (月)

福浦和也の『走攻守』

小坂選手がいなくなって、守備好きの楽しみが減ったと思ったが、そうでもなかった。

乱れた送球が増えたおかげで、柔軟な体でなんなく捕ってしまう福浦選手がひきたつ。

内野陣のプレーを見ると、「福浦さんは全部捕ってくれる」と、信じきってがむしゃらに送球してくる。そして、必ず“捕ってくれる”のだ。

この頼もしさが、若手をのびのび育てるのだろう。

打撃は、こんな私が語ってはいけない。

おこがましくて・・・でもひとこと、

『今年は首位打者!』Marines_06_09_20_23_045_1

2004年開幕当初、まだ山本監督時代のノリで、まったり観戦していた時のこと。

バッターは、千葉ロッテマリーンズご自慢の、

   生え抜き『福浦和也選手』

    “打った~!しかし内野ゴロ”

その時、福浦選手はバットを持ったまま、一塁ベース途中までユルユル行き、ベースを踏むこともなくタラタラベンチに戻った。

打った瞬間、すぐあきらめるのは、福浦選手に限ったことではない。

しかし、バット片手に走る姿は大嫌いだった!!

次の回、福浦選手は交代。怪我なのか、それともそのプレーが、ボビーを怒らせたのか。

福浦選手はお世辞にも、足が速いとは言い難い。

あれで、腰痛もなく俊足なら、楽に4割行くと言っても、過言ではないと思っている。

 

2005年10月17日。

ファンひとりひとりが、いろんな思いを胸いっぱいに抱え、深く、そして熱く感動させられた日。

そう、パリーグ優勝の日!

私は、ひたすら部屋の小さな画面に向かって、福岡ドームに念力を送っていた。

1対2で迎えた8回表、ランナー二塁初芝選手、一塁福浦選手。

バッターの里崎選手が、

   “逆転タイムリー二塁打~”

この時の福浦選手は、一塁からホームまで走ったのだ。

福浦選手は、大塚選手でも西岡選手でも、

まして代田選手でもない。

“足の遅い福浦選手なのだ ”

     (ごめんちゃい・・・)

ビジターだと、練習を見ることができるのだが、2005年、高橋コーチが一軍コーチになってから、福浦選手は高橋コーチに、いつも積極的に走塁の指導を受けていた。

その成果は着実に、そして確実にあらわれてきた。一塁なら三塁に、二塁ならホームにほとんどシングルヒットで帰ってきた。Blog_140_1

 (5月13日カープ戦 さよならヒット)

 2006年は、ヒットでも、ホームランでもなく

  福浦選手の内野安打で、

  私はおもいっきり、こぶしを握り締め、

         『ガッツポーズ!』

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月 8日 (木)

ホリスタ

野球のない時期は、選手のブログが待ち遠しい心を和ませてくれる。

千葉ロッテマリーンズの選手ブログでは、大塚選手が人気らしい。先日、大塚選手のブログの中に、堀選手の事を「ホリスタ」と書いていた。

記憶力の悪い私の脳が、めずらしく“ピピッ~!”ときた。

確か、2005年のインボイスドームでの試合前のことである。Blog_161

ランペンコーチが外野ノックをしたのだが、なかなかうまくいかず、かわりに里崎選手と堀選手がノックを手伝っていた。何気なく、堀選手が素振りをした。すると、そばにいた選手たちが、ものすごーく笑って「もう一回やって」と頼んでいる。堀選手は、ちょっと恥ずかしそうにしながらも、また素振りをやってみせた。

そして、そのスタイルで打ってみせた・・・と、なんとホームラン!もう1度打つ、またもホームラン。

そのスタイルとは、2005年までホークスに在籍していた「バティスタ選手」のあのオープンスタンスの独特のフォームだったのである。

とてもよく似ていたが、それで打てちゃうとは・・・堀幸一恐るべし!

あまり、試合中闘志をむき出しにしない堀選手。小坂選手や、西岡選手と組むといつも上手に引き立て役にまわる。

そんな堀選手が、2005年8月28日だけは、ちょっと違った。先発は黒木選手。スタンドは満員で、試合前から異様なムードに包まれていた。Blog_166

いつも、控えめな堀選手が、10歳若返ったような超積極的プレーの連続で、黒木投手を助けた。

つい(ど、ど、どうしたんだホリ~、でもいいぞホリ~)と、うれしいながらも動揺してしまった私。

おちゃめだけど、いざとなったら頼れるのが、

    『ホ・リ・ス・タ』Blog_173

Blog_167

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月 9日 (金)

へーちゃん、がんばれ~『塀内久雄』

キャンプでは、1,2軍の狭間にいる選手は、常に息が抜けない。

その狭間で、控えめにしかし必死でがんばっている選手がいる。

「へーちゃん」こと、塀内久雄選手。Blog_176

最初のライバルが、“小坂誠”とは不運である。

その後、小坂選手がトレード、やっと活躍の場が・・・と思ったら、走攻守そろった“西岡剛”がショートにまわって、すでにスタメン。サードには、多少の怪我にはびくともしない“今江敏晃”。セカンドの、“堀幸一”を狙うしかないが、まだ抜くことは無理。その上、守備に関しては完璧1軍の“渡辺正人”がいる。

以前、セカンドに付いた時、ゲッツーコースの球をなぜかファーストに送球。福浦選手、驚きながらも、落ち着いてセカンドに送球、ゲッツーとなった。

塀内選手のところへ、ボテボテのゴロが飛ぶと、必ずヒット。そのたび、

『ゴロは前進!下がって捕るな~』

と、つい叫びたくなったりして・・・。

でも、いつも本人は必死である。

       だから、余計に痛々しい。Blog_187

2006年になると、塀内選手にも徐々にチャンスがまわってきた。

4月8日、9回裏3対4、2アウトランナー3塁。9回表から守備に入った塀内選手の初打席。

(今日最初の打席が、最後のバッターになるとは、へーちゃんらしいな)と失礼なことを思っていた私。すると、塀内選手

『打ったー!』同点タイムリー!!

ビジョンに映し出された、ファーストベース上の塀内選手、うるうるなみだ目だった。

2006年9月26日。

マリンでの最終戦も終わり、テンションがちょっと下降気味の1軍メンバー。しかし、1軍と2軍の狭間にいる塀内選手にとっては、来年のためのアピールタイム。そんな中、塀内選手はセカンドを守った。

“塀内選手、ゲッツーの嵐!”それも守備で・・・。

(本当、成長したな~。ゴロも少しだけ、前進して捕るようになったし)、つい、母親気分になってしまった。

まずは、「人が多いと緊張する」らしいので、そこから克服し、持ち前のパワースイングを期待してるね、へーちゃん!Blog_192

Marines_06_09_30_10_01_015 (山形、ファーム選手権にて)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月14日 (水)

なぜ初芝 清?

今日は、バレンタインデー!っと言っても、夫にチョコをあげるわけでもない私・・・。

強いて言うなら、オス猫にちょっぴり高級な缶詰をあげ、食べ慣れないものはすべて拒否するオス猫が、一日中『いつもの餌に替えてくれ~、替えてくれ~』となき続ける・・・これが毎年の我が家のパターン。

そういえば、今はやっていないようだが、マリーンズショップで3,4種類のロッテチョコ詰め合わせを用意し、バレンタインデーの日、選手にメッセージを添えプレゼントする企画があった。

その企画を目にした時、選手は同じチョコをいくつももらってもしかたないので、形をかえて?メッセージとともに、選手の元へ行くのだろうなと、夢のないことを想像した私に、

夫「どうしても、頼みたいことがあるんだ。おまえの名前でひとりだけチョコを送ってほしいんだけど、オープン戦のチケット買いに行った帰り、申し込んできて・・・。」と、思いがけない夫の頼みだし、チケット買いに行くついでだからと、OKを出した。

千葉までの長い道のりを行くのは、とても面倒だった。そんな気持ちを察してか、出かける前の私に、「この中に電車の乗り継ぎ時間と、座席と、チョコを渡す選手のフルネームとメッセージ書いておいたからもってって・・・。」と紙を渡された。(私が出すんだから、きっと小坂だよね?)と勝手に思い込んで、ぶーたれながら千葉に向かった。

電車の中で、その紙を開くと、

そこには“初芝清選手”の名が・・・。Blog_171

(は?はつしば~?)あまりの予想外の名前に固まってしまった私。

後で、夫に初芝選手にした理由を尋ねると、

「だって、おまえと同じ歳じゃん!」と言われた。

(え?そんな理由?)とりあえず言われた通りにしておいた。

ホワイトデーに、サイン入りカードが送られてきたが、

 “今ではしっかり宝物”Blog_300

初芝選手は、なかなかサインに出てこないので有名。まだ、サイン会がネットの隙間でしてた頃、里崎選手と初芝選手が出てきた日があった。里崎選手をパスし、初芝選手だけにサインをもらうファンが多かった。

パスされる里崎選手が「初芝さん、すごいっすね~。俺のいらないみたいだし~」とちょっとすね気味に言うと、

初芝選手は「サインはしすぎちゃだめなんだよ。俺みたいに“たま~に”出てきて、サインするとサインの価値が上がるんだよ。」と言っていた。

この頃、いつも出てきてくれる里崎選手に対し、サインをもらうファンはリピーターばかり。そのため、2回も3回もしてもらう訳にはいかず、ついにパスしてしまうのだ。(今では贅沢な話だが・・・)

そのあと、初芝選手は「だけど、いつもサインしに出てるよな~。大変だろ?」と、まわりのファン聞こえるように、里崎選手に向かって言った。

一見、いやみなおっさんに感じるが、里崎選手へのやさしい気配りなのだと思った。Blog_170

Blog_124 2005年9月22日、初芝選手の引退試合の日(今日で初芝選手、見納めか~。明日からは、コーチになってたりして・・・。)と思ったら、

「最後の夢が・・・それを実現した後、バットを置きたいと・・・」って、(あ、あれ?)と思ったが、今考えると、千葉ロッテマリーンズを『日本一』に導いてくれたのは、初芝選手のプレーオフ第2ステージ5戦目での必死の走塁だったのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月18日 (日)

しなやかに仕留める!青野毅のセンス

今日から千葉ロッテマリーンズ公式戦チケットの売り出し、ネットの戦いがおこなわれる。ファンもいろいろ戦いがあるのだ。一度でいいから、ネットでのチケット獲得の大勝をしてみたいものである。

2006年4月15日西武戦。大松選手が満塁ホームランを打ち、チームは大勝!

大松選手は、二軍の時から期待され、ガンガン打っていた。しかし、この日夫は、ある選手に何かを感じていた。Blog_418

2004年、夫はサブロー選手を「あのスイングはいい!必ず強打者になる!」と言い続けた。デットボールの時は、(サブちゃん、ラッキー!打率下がんな~い)と思ってる私の横で、「俺のサブローに何すんだ~」と言っていた。そして、2005年、千葉ロッテマリーンズの強肩4番として活躍していたサブロー選手。

今年の夫の期待選手は、この日9回表の5打席目にヒットエンドランのサインで、やっとバットにあてた、5打数1安打の“青野毅”内野手だった。Blog_260

その後、青野選手は「1号も、2号も満塁ホームラン」と珍しい記録も出て活躍。

打撃が良くても、守るところがない。その日によって、サード、セカンドならまだいい、ファーストも。時にはレフトもやらされる。思いのほか、なかなかセンスがいいようで、下手な外野手より安心して見ていられた。

固定されない守備はかなり大変に見えた。その上打席でも、高度な要求がされ始めてきた。しかし、一つ一つ身につけ着実に進化していった。

私が、夫の言葉に納得したのは、7月29,30日のオリックス戦だった。

29日は、きちっと振りぬいてのヒット、送りバントに犠牲フライと、内容の濃~い青野選手の打席を見ることができ、その上勝利。Blog_258_1

30日は、フォアボール、内野安打があり、極めつけが9回表。

この時、2階のホームベースが真下に見える席にいた。菊地原投手の球が、バッターの側で急に変化する。

敵ながら「うわっ!曲がって入ってくる~打てそうもないね」と感心しきり・・・。

青野選手は、菊地原投手の球をきっちりカットし、2-2からインコース低めに食い込むような球(スライダーとのこと)に、食らいつくようにおっつけて三塁線を破り二塁打にした。

残念ながら負けはしたが、今江選手や西岡選手の1軍に出たての頃のような、未来への楽しみを感じさせてくれた。

8月19日の日本ハム戦では、ライトへのホームラン!Blog_157

夫は右バッターである青野選手が、ライトにホームランを打ったことにセンスを感じるのだと、相変わらず勝手に感動していた。

今年は、センスの良さを生かし、

     『 大ブレーク』・・・かな?

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年3月 1日 (木)

小坂誠の背番号1

今日は1日。 先日楽天との練習試合で、大嶺くんの背中が画面に映った時、少々寂しい気持ちにおそわれた。Blog_121

        “1”今や懐かしい数字に。

千葉ロッテマリーンズの【背番号1】だった小坂誠は何処へ・・・。

テレビのスポーツニュースで、ジャイアンツのシーンが映ると必死で小柄な選手を探す・・・。背後から、「探しても無理だよ、今年はガッツと谷だけ、小坂は映してくれないよ。」と、夫の乾いたせりふが針のように私を突き刺す。縦じまユニフォームを着た阪神の鳥谷選手の後姿を見ると、なぜか懐かしさを感じる。

わかっているけど、あきらめきれないこの気持ち。Blog_175

2006年8月27日、仙台で俊介投手バースデイ登板で勝利した日。Marines_06_08_107

この日はマリンスタジアムでいつもお会いするファンの方と偶然お会いし、ホヤの燻製なんかごちそうになりながら、楽しく応援していた。すると、後ろのお客さんが、小坂グッヅを持っていた私に

「小坂ファンなんだ。」と声をかけてきた。

一瞬構えた私に

「俺んちの斜め向かい、小坂のうちだよ。」と。

 (どっぴゃ~、小坂のご近所さんだ!)

私は試合どころではなくなっていた。

「ジャイアンツに行って小坂はよかったのか?腰はどうなのか?今小坂は・・・」

機関銃のごとく尋ね倒す私に、いろいろ答えてくれた“小坂のご近所さん”

小坂選手は、ジャイアンツに決まると、一時期ノイローゼ気味になったそうだ。しかし、決まったものは仕方なく、あきらめてジャイアンツでプレーすることに決めたという。

やはり、小坂選手は野球人生をロッテで終わらせるつもりだったのだと・・・。

この日の試合は、久しぶりに90キロ台の遅い球を生かした素晴らしい俊介投手のピッチングに、野手もがんばったいい試合だったのに、心の片隅がなぜかせつない日でもあった。

  今年から、小坂選手は背番号6。

       そして、ロッテの背番号1は大嶺投手。

入団の際、大人のエゴに巻き込まれたが、そんなことも忘れさせるくらい活躍し、小坂選手のようにファンを大切にし、ファンから愛される選手に育っていってほしい。

そういえば、マリンの警備のおじさんが「小坂選手は、誰も置きたがらない鉄板があるところに、決まって車を止める人なんだよ。入団当初から、謙虚な人だったな~。」と言っていたことを思い出した。

二岡選手よ、申し訳ないがショートを小坂に譲ってはくれないだろうか。Blog_496

   あのショートを、もう一度味わいたい

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月 6日 (日)

“25”の戦い・・・今江敏晃

1 2004年・・・ファームから上がったばかりの背番号25の選手は、試合中手を怪我したようだった。どう見ても、当分出られない怪我ではないか?と思われる様子。しかし、その翌日サイン会に出てきて、サインをしている。

  『手、大丈夫なんですか?』

と夫がサインをしてもらいながらも、少々心配になり尋ねてみたそうだ。すると、その選手は人なつこいさわやかな笑顔で

   『大丈夫です!』

と、元気良く答えてくれたそうだが、サインの列は長く、1軍のベテランのように途中でサインを終わらせることができず、ひたすら書いていた光景を今でも覚えている。

そして、次の日彼はファームに落とされてしまった。理由は、

    “試合中での骨折”

せっかく1軍に上がれたので、どうしてもチャンスをものにしたいがため、痛さを我慢したらしい。サインをしていた時も、笑顔とは裏腹に痛かったことだろう、なんたって骨折だもの。

めいっぱい振りきる打撃、3塁線をぬかれまいとする左足を前に出した守備のスタイル、そんな泥臭さが、また人を引き付ける。

しかし、せっかく上がってきても骨折の上、ファームから上がってきたばかりの選手では、2ヶ月は出てこれないだろうと予想していた私。

そんな私をその選手は裏切ってくれた。彼は、脅威の速さ(確か2週間位)で完治させ、再び1軍のサードに戻ってきたのだ。

左足を前に出すことによって、三遊間が甘くなることがファンの間で問題視されはじめると、いつしかその構えは普通の構えになっていた。しかし、今考えてみると、あの構えにはそれなりの考えがあったのかもしれない。三遊間は確かに甘くはなるが、抜けてもシングル(その頃、レフトへのゴロヒットはほとんどショートで止められていた)。もし、三塁線を抜かれれば、2塁打になってしまいがち。そこまで考えてのことだったのだろうか?

そして、その頃ショートには“小坂誠”がいた。ある日、小坂は大きくバウンドし本来内野安打になるはずの球を、俊介投手の左横に突っ込んできて、バウンドで上に上がる前に捕球し、アウトにした。その後、まだスタメンではなかった彼は、試合前の練習の時小坂の後ろについて守備の左右の動きの練習を熱心に真似ていた(ビジターだと練習風景が見られる)。

(言っておくが、小坂がトレード後、GのA捕手が小坂の後ろについて、小坂のことをバカにしながら笑って同じ動きを真似ていたそうだが、それとは全く違う)

今では、当たり前のように投手の側まで前進捕球し、ガッツあるプレーを魅せてくれる。

優勝前は、案外マウンドの選手の声が聞こえてきたが、彼はいつも投手にサードから声援を送る。投手が少しでも気分良く投げられるようにと言う気持ちが伝わって来る声援だった。現在、観客も増えなかなかマウンドの声を聞き取れないが、きっと今でも彼は投手に声援を送っているだろう。

   

2 当たり前のようにスタメンに名を連ね、優勝に貢献し、そしてWBCにまで選ばれ、今では不動のサードにまで成長した男

     背番号8の今江敏晃

07’のシーズンは怪我をしたが、さすがスタメン・・・焦ることなくきっちり直してきた。

にほんブログ村 野球ブログ 千葉ロッテマリーンズへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月 7日 (月)

もう一度青い時!青野毅

   青と言う色は、冷静になれる色だと聞いた・・・

   

1 06’活躍を見せ、さあ今シーズン・・・と思ったら、07’は5月に入り徐々に不調となり、7月23日ついにファーム落ちした。

     

2      出だしは良かった・・・

3月30日、まず1号HRを放つ。そして、4月、5月にはコンスタントにHRが出て、チーム内でのHR争いは、ズレータ選手と二人で戦っていたように思うぐらい凄かった。5月28日の時点で、すでに10本のHRが出ていた。

守備も本来内野だが、外野も入ればそこそこ上手い。おかげで、便利に使われていた。

怪我人も多かったが、それ以上に打って守れる選手がいない。守備固めのために代田選手や、大塚選手、南選手はファームとの行き来をくり返すのだが、いざとなるといない!先発6人制を取っていて、守れない打つだけの選手をベンチに入れていると、守備固めを削らなければならなくなる。

総合的に見ると、内外野そこそこ守れ、HRも打てる・・・監督にとっていい選手である。

しかし、青野選手のやっと1軍定着できるかもと言う思いと、便利であるというベンチの思いがあいまって、青野選手は怪我をおして出ていたようだ。

6月になると、HRは出てないがそこそこヒットを放ち、どこでも守れる選手として相変わらず便利に動いてくれていた。

ただ、7月になると、世間では『ホームラン狙いすぎ』とか、『ミートに心がけよ』など、あらゆる厳しい意見が出てきた。

5月下旬、6月下旬と立て続けに、今江選手・西岡選手と登録抹消・・・その前に抹消して怪我を治さなければならない青野選手は、なぜ後回しにされなければならなかったのだろうか?

恥ずかしい話だが、私もその頃『高めのボール球、振り回しすぎ!』と夫に言ったこともあった。そんな偉そうな私に、すかさず

『あんたはあれだけそばで見ておいて、何も気付かないのか?・・・あんなに手首かばっているじゃないか!』

と、夫に叱られてしまった。しかし、良くわからなかった私は、7月10~12日の西武戦で、嫌と言うほど夫が言った“かばう”を実感した。

試合前のバッティング練習で、本来の青野選手の打撃とは全く違っていた。青野選手のその姿を目の当たりにした時、ただただ申し訳ないと・・・痛くないほうの腕を中心に、バットにあてることだけを考え、打球はすべてゴロ。フォームはHR狙いとはほど遠く、どう見てもランナー進めるスイングの練習?私は、試合前の打撃練習でこんな練習ははじめて見た。

   

ファームに落ちた青野選手は、浦和球場内での練習にも出てこなくなったそうだ。理由はサインを求められ、断ることができないかららしい。

サインが嫌いとかの問題ではなく、青野選手の手は、その時すでに

  “ボールさえ握ることもできなかった”

と言う。守備が器用にこなせるからと言って、怪我をおして出ていた青野選手。

3 今シーズンは、必ず青野選手に良い事がたくさんありますように♪

そして、また06’のおっつけフォームでHRが観たい。

にほんブログ村 野球ブログ 千葉ロッテマリーンズへ

| | コメント (2)

その他のカテゴリー

ガス文庫《俺は知ってる》 ペット ペット Ⅱ マスコット マスコット Ⅱ マスコット Ⅲ マスコット Ⅳ ロッテ スタッフ編 ロッテ選手名鑑 投手編 ロッテ選手名鑑 捕手編 ロッテ選手名鑑内野手編 ロッテ選手名鑑助っ人編 ロッテ選手名鑑外野手編 動物園日記 日記・コラム・つぶやき 日記・コラム・つぶやき  08年 日記・コラム・つぶやき 09年 観戦記 07年 プロ野球以外 観戦記 07年 03月 観戦記 07年 04月 観戦記 07年 04月 イースタン 観戦記 07年 05月 観戦記 07年 05月 イースタン 観戦記 07年 06月 観戦記 07年 06月 イースタン 観戦記 07年 07月 観戦記 07年 07月 イースタン 観戦記 07年 08月 観戦記 07年 08月 イースタン 観戦記 07年 09月 観戦記 07年 09月 イースタン 観戦記 07年 10月 観戦記 08年 プロ野球以外 観戦記 08年 プロ野球以外 Ⅱ 観戦記 08年 03月 観戦記 08年 03月 イースタン 観戦記 08年 04月 観戦記 08年 04月 イースタン 観戦記 08年 05月 観戦記 08年 05月 イースタン 観戦記 08年 06月 観戦記 08年 06月 イースタン 観戦記 08年 07月 観戦記 08年 07月 イースタン 観戦記 08年 08月 観戦記 08年 08月 イースタン 観戦記 08年 09・10月 観戦記 08年 09月 イースタン 観戦記 09年 03月 観戦記 09年 03月 イースタン